04/12/24@スジナシ

設定:宮藤官九郎/主演:妻夫木聡/助演:笑福亭鶴瓶
発案者は舞台となるスタジオセットを考えて監修するだけ。
台本はまったくナシの、行き当たりばったりで出演者がセリフを考えて演技する。
「ガラスの仮面」だったら、ハッとした集中線に「…ということは、○○さんは口で言うのとは逆に心の底から私のことを心配しているのねっ!」とかモノローグが入りそうなところだ。

アップ後のインターバルトークを待つまでも明らかなことに、一連のやりとりが台本のない役者のアドリブということを知らなかったら、視聴者には奇妙なドラマに思え、そんなストーリーであってもカメラワークとBGMで個別のカットについては結構まともそうに見えるものが仕上がってしまう。
しかし、そんなセリフとト書きとで構成された話の台本を渡されたら、書き直しが命じられることだろう。

脚本の入門書で、「セリフにともなう表情とか細部の指示とかは脚本家の領分ではないので必要最小限にとどめるように」などとあったりするが、いざ描写しようとすると監督がどこまで膨らませてくれるかを信用できず、初心者的にはついついあれやこれや書き込んでしまいがちだったりする。
だが、こんなものを見せられてしまうと、たとえ監督が全体の進行に追われて解釈を練り込まなかったとしても、役者なりスタッフなりは細部まで脚本に書かれていようがいまいがそのシーンを仕上げてしまうの。
箸のあげおろしまでも脚本家が考えるだけ無駄なのであって、全体像の設計図に専念すべしということを思い知らされそうな番組に思えもする。

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